今日は久々の完全オフ。

地方で開かれる学会へと出かけるカズエを駅まで送った帰り道で、

両手に大きな買い物袋を抱えヨロケながら歩くカオリを見かけて声をかけた。

レディーに重い荷物なんて持たせられない、と買い物袋を全て引き受け、

たわいもない話をしながら歩いた。



向かい合わせのアパートに住み、家族同然のつきあいをしているにもかかわらず、

彼女と2人でこんな風に外をあるくことはめったにない。

彼女が出歩くときは、ほとんどいつも撩が気づかれない程度の距離を保って

後方から様子を伺っていて、今日のように並んで歩いていると、

さも偶然出会ったかのような顔をして俺と彼女との間に割って入ってくるのだ。

やっと手に入れた女に対するヤツの執着はすさまじく、

他の男が彼女に近付こうものなら素人にもわかるのではないかと思うほどの

凄まじい殺気を放って威嚇する。

俺は旧知の仲とあって、その辺のどこの馬の骨ともわからない男共よりは多少はマシだが

やはり例には漏れず、こうして彼女に近付いてはヤツの嫉妬にまみれた殺気をたびたび浴びせられている。

当の彼女はまったくそのことには気づいていないようだが・・・。

スィーパーのアシスタントとしてその鈍感さはいかがなものかと思うが、

そこが彼女が彼女たる所以。

度がすぎるほどの真っ直ぐさとそれ故の眩しい笑顔が最大の魅力なのだと俺は思っている。


今日は珍しく、辺りにリョウの気配を感じない。

幸運にも年に何回もない護衛なしの日に当たったようだ。

ここからアパートまでは5分ほどの道のり。

少しでも長くカオリといたくて、自然と歩く速度が落ちる。



あと少し、もう少し        。



そんな思いも虚しく、程なくアパートに着いてしまった。

彼女の後に続いて階段を上り、冴羽家の玄関前で彼女が鍵を開けるのを黙って待っている。


明り取りの窓から差し込む午後の柔らかい日差しが彼女を照らしている。

色素の薄い彼女の髪はところどころ茶色く透けて見え、陶器のように決めの細かい肌が薄いオレンジ色に染まっている。

手に入らないものはことさら美しく見える、というのは人の世の常だが。

そんなものとは関係なく、俺が初めて本気で愛した女性はきっとこの世で一番美しい。

少なくとも俺にとってそれは真実だ。

そして、ヤツのものになってしまった今でも彼女を愛している。

おそらくは“我が妻”である彼女よりも。



「あれ?おかしいなぁ確かにここに入れたはずなんだけど・・・」



カオリは首をかしげながら小さなトートバッグの中をかき回した。

ちょっと待ってね、と振り返った彼女の姿は逆光できらきらと輝いていた。



その姿は、俺の心の扉をほんの少しだけ開いてしまった。

随分と前に固く閉ざした筈の欲望という名の獣を閉じ込めている扉を・・・。



抱きしめたい        。

いや、ダメだ、そんなことをしたらカオリは         。




数十秒後、冴羽家の鍵はバッグの中ではなくカオリのコートのポケットから出てきた。

待たせてしまってごめんなさいね、と言いながらガチャガチャを音をさせて鍵を開けた。



「ありがとうミック、助かったわ。コーヒー淹れるわ。飲んでくでしょ?」

「あぁ、じゃぁ少しだけお邪魔しようかな。」



彼女に誘われるまま中へと入り、勧められた席に座ってコーヒーが出てくるのを待った。

ぽたりぽたりとドリッパーから落ちる褐色の雫を眺めながら、ヤツの気配を探った。

だが、殺気どころか気配すら感じない、どうやらまだ眠っているらしい。



「はい、熱いから気をつけてね。」



彼女はそう言って3人分のコーヒーをテーブルに置いた。

1つは俺のために、来客用のカップに入れたもの。

あとの2つは色違いのマグ。

彼女は淡いピンクのマグを両手で包むようにして持って口元に運んだ。

そしてひとくち飲んでから俺の顔を見て、またにこりと笑った。

心の扉が鈍い音をたてて開き、眠らせたはずの獣が目覚めかけていた。



今ここで抱きしめたなら、どんな顔をするだろうか。

今ここで唇を奪い組み敷いたなら、永遠に俺のものになるだろうか。



俺がそんな不埒なことを考え、心を泡立たせているとは露とも知らず、彼女はまた俺に微笑みかける。



カオリ、その笑顔を手に入れるためなら俺は         。



「そうだミック、今日はかずえさん出張でいないんでしょ?晩御飯も食べていかない?」



彼女がそう言った時、不意に扉の向こう側にヤツの気配を感じた。

顔を見ずとも俺の心がわかるのか、いつにも増して鋭いその気配のおかげで俺は我に返った。



「いや、今日はやめておくよ。それに、そろそろ失礼しようかな。」

どうやら君のナイトがお出ましになったようだ。



「え、もう帰っちゃうの?ウチに遠慮しなくていいのに。それに、もうすぐ撩も起きてくる頃だと思うし。」

「・・・だからだよ・・・。」

彼女に聞えないようにそう呟いた。



「え?何、聞えなかったよ。今何て言ったの?」

「これ以上ここにいたら、リョウに殺されそうだからね、って言ったのさ。」



ドアを開ければヤツがいる。

昔の俺なら勝負に出ただろうが。



今の俺には勝算がないんだよ、色んな意味で。



不思議そうに俺の顔を覗き込む彼女にむけて、出来るだけ大きく笑いながら

いつものように“バカみたいに陽気なアメリカ人”を演じて言った。



「じゃ、またねカオリ。コーヒーごちそうさま。」

「あ、うん、またねミック。」



ドアを開けて廊下に出ると、壁に凭れ腕組みをしたリョウがいた。



「ケンカ売ってんのかよ?」



いつもと変わらぬ穏やかな表情、だが目は笑っていない。

顔を突き合わせて話をしていないのに気配だけでどんなことを考えているか

お互い大体のところは察しがつく。

旧知の仲ってのは時に厄介なものだ、・・・特に俺たちみたいなタイプの人間には。



「目を離すお前が悪い。」



途端にむき出しになる敵意・・・そして滲み出る俺への失望感。



俺の体がもうお前と対等に戦えるようなしろものでないことは、お前が一番わかっているだろ?

そして、俺がいくら足掻いたって彼女の心を手に入れられないことも。



「Just kidding,huh?」



肩を竦めておどけて見せると、リョウは少し笑った。



「少し目を離すとこれだ、油断も隙もありゃしねぇ。」

「ったく嫉妬深い男ってやだね!まぁお前程度の男は不安で嫉妬に狂うってのも仕方がないことなのかもしれんがな!」
このミック・エンジェル様の魅力の前にはお前の存在なんて塵以下だからな。



そう言いながら、俺はリョウの視線を背に受けつつ、出口に向かった。



そうだリョウ、一瞬たりとも目を離すな。

俺の中の獣が再び目を覚まさないように。



俺が自分を見失い彼女から笑顔を奪ってしまわないように。 





『doors』  <2006.01.30.>  

      ※ 2006.09.24. 旧サイトお題ページより分離 






 ◇◇アトガキ◇◇

嫁がいながら他人の彼女(嫁)をも手に入れたがる
そしていっそ清々しいくらいの惨敗を喫する。
そんなケダモノ→負け犬なミック王子が好きです(S愛)。


♪:雲路の果て(Cocco)