Creativity for Living

Andiamo insieme,ti voglio tanto tanto bene.






街頭の喧騒が嘘のように静かな午後。
キャッツアイのランチ時間も終了。
店内がほっと一息ついたような、
間延びした時間帯が香螢は大好きだ。

家に一人で居るのも良いが、
何故だかアラームがついているように足を運んでしまう。
それは彼女のルーティンとしてあらかじめ定められた日課。
カウベルがコロリと鳴る、その穏やかで優しい誘いの空間。



「いらっしゃいませ!…ああ、香螢か」

「ナニ?信宏。あたしじゃ客として嬉しくないってこと?!」

「嬉しいさ。毎日顔を見合わせるって大事だろ?コーヒー?」

「・・・う。うん・・・」



信宏は決めている。
一度亡くした命を救われた後の日々に、
嘘偽りを語ることをやめようと。
自分の気持ちを素直に周囲に出し
伝えてゆくことに怯えるのをやめようと。

たとえそれが相手へ真意として届かなくとも、
後悔をすることはないだろうと。
だからヤリのように鋭く語気を荒げた香螢に
自分の気持ちを言うことを隠さない。

赤く染まった頬とやわらかくなる目線に、
横目で彼は見惚れる。綺麗だ、と。

叶わなかったであろう、平凡な日々。
夢だと思って諦めていた、奇跡のひと時。





香螢は黙って信宏の手元を見つめる。
短く切られた爪、細長く繊細な指。
広げればとても大きいたなごころ。
戦闘能力は互角。
あの時、私は彼を確実に仕留めていたはずなのに、
今はこうやってカウンター越しにまなざしを交わしている。

不思議。
信宏が傍に居てくれる安心。
自分がなにものかを知っていた人が、ココに居る。
同じ経歴を持って、同じ過去を歩んできている、
言葉を交わさずとも分かり合える
共通言語を持っている、唯一の人。
同士。

私に会いに来てくれた、たった一人のともだち。
親友。

いつの間にか視点は彼の方が高くなり、
その分私は彼を叩きのめすときの
間合いが変わっていくのを感じる。
変化。

すこし、こわい。

怖いと感じることが、嬉しいような、
不安なような、どきどきした気持ちになるときがある。
こうやって日々を重ねていく事が
いい事かどうかも分からないけれど、
ただ黙って、信宏の手元を見つめると穏やかに優しくなる。

ナイフが果物を切り、
野菜を千切りにしていく様を見つめて、
切り裂く対象物の幸福な変貌に、これで良いのだと思える。

叶わなかったであろう、平凡な日々。
夢だと思って諦めていた、奇跡のひと時。



「香螢、飯食ってきたか?」

「ううん?どうして?」

「ほらよ、食べな。
 お前、ひとりだとどうせ缶詰とかで済ませてるんだろ?」



手早く作られたサンドイッチ。
うさぎの耳のついたりんご。
薫り高く湯気が舞うコーヒー。



「失礼ねー、最近は電子レンジでレトルトパックになったわよ!
 それでも栄養価は変わらないじゃない」

「まあ、オレ様の自信作を召し上がれ。それからものを言え」



初めて、みんなと一緒にご飯を食べたときの、
奇妙な感覚の再現。
急がずに栄養分を摂取しなくてもよいとされた生活の転換。
慣れることなく過ぎていくのかと思いながら、
当たり前のように誰かと顔を合わせて
食事をすることが恥ずかしくなくなってきたことを感じる。

美しく彩りを目に届けてくるサンドイッチ。
きいろ。あか。みどり。しろ。
ひとくち口に含めば、
さまざまな歯ざわりと共に
焼きたての暖かいパンの香気と風味、
具材の味が一気に広がってゆく。
おいしい。

急いでいるわけではないのに、
あっという間におなかの中におさまってゆく、
私を作る食べ物。
信宏が私のために作ってくれた、サンドイッチ。



幾度と無くこうやって作ってきたメニューが、
目の前で人の口に消えてゆき、満足感のある笑顔に変わること。
何時だって自分はこれらの食べ物に
毒を入れることは可能なのに。
なんと脆い、だが確固たる信頼感の具現だろうと思う。

最初は食い扶持と寝床を確保するためだけに、
香螢のように冴羽さんという父を得られることの無かった自分は、
ただ偶然知り合えたファルコンの店に転がり込んだ。
だがどうだろう。
今となっては、喫茶店を営む手伝いをしている
自分を酷く誇らしく思っている。

清潔感を保ち、静寂と美味を提供する。
人の笑顔や深刻な顔や
まじめな商談が立ち昇る場を作る、守り人。
ファルコンに今更ながら感謝しているけれど、
彼はそんなそぶりは一切受け取らない。
彼は俺にとって、父親以上の存在になりつつある。
殺戮者であった我々が、
社会に今更何か良いことを返せるなんて
思ってはならないのだろうけれど、
俺にひとつの生き方を、指し示してくれた大事な人だ。
誰かの生活に直裁に関わることなく、
誰かの生にすこしだけ、潤いを捧げられる場。
それが喫茶店なのだと。



「・・・おいしかった。ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした」

「ねえ、日本語って、いいね」

「そうだな」

「信宏。たべるって、いきることだよね」

「そうだな」

「・・・わたしたち、たべて、いいのかな」

「逃げるなよ。
 だけど後ろ向きになる必要もないだろう?
 俺たちは過去を忘れたわけじゃない」

「うん」

「おまえが、笑顔で食べてくれるのを、
 俺がどれだけ楽しみにしているか分かるか?」

「・・・」

「おまえの、いきることに、少しでも力を貸せるのが
 嬉しいからだ。それはお前だけじゃない。
 店に来てくれるお客さん全員にだよ。
 俺の入れるコーヒー、ファルコンに言わせりゃ
 まだまだ50点にも満たないけど、
 それを美味しいって言ってくれる常連さんの言葉で
 俺は毎日頑張れる。おまえはどうだ?
 依頼人の笑顔、嬉しいだろ?」

「うん」

「それで、いいんだと思うよ」



香螢は思う。
それは信宏が自分の手で何かを”作って提供”しているからだと。
食べるものを作る者が受ける無形の信頼を浴びて
彼は今生きているからだと。
彼の言う言葉は頭で理解できても、
私のしていることと同義とは思えない。
でも、彼の励ましは暖かく自分の心に沁み、
自分を肯定してくれる何よりの錨となっているのも事実だ。

そんな惑いを口に出すことは出来ず、
ただ黙って、コーヒーを口に含む。
苦くて、熱い、不思議な風味に美味を感じる。



「それで、いいのさ。明日もまた、来いよ」



信宏が大人ぶって、
カウンター越しに私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
まるでリョウパーパのするように。
気恥ずかしいのに、その手を振りほどくことが出来ない。
小さいときに感じた手よりも、
ずっと大きく、私を包み込んだから。
昔だったら届かなかったであろう、距離を飛び越えて。
それが、とてもあったかくて、
いま、私がここに居る事を、実感させてくれたから。










fin.

070919
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