no.19 日常

no title (無題)


 万年金欠で喘いでいる万屋(よろずや)冴羽商事とて、
 日々の業務は掲示板確認なる営業活動のみにあらず。
 特に香にかかる仕事内容は多岐に渡る。
 
 根城兼作業場とも言える冴羽アパートの維持管理、
 管理人業務及び清掃、家政婦的パーソナルスペースの掃除洗濯
 己の分も含めた食事の支度、
 会社組織として体裁を整えてしまったがための帳簿類の作成、
 各種請求書の処理、什器(といえば聞こえは良いが、
 要は各種銃刀類やら武器弾薬の整備・数量確認)管理、
 そして過去の事件に関わった人々への
 アフターサービスと香が呼ぶ次第をたずねる文通など、
 全てを几帳面にこなす彼女の自己評価は恐ろしく低い。
 
 パートナーの仕事の内容のサポートをし、
 普通に穏やかな生活を営む上で必要な技能。
 電子機器とは恐ろしく相性の悪い彼女であるが、
 本来のスキルはきわめて高い。
 
 遼はそれを言葉では表せない。
 感謝の一言も述べることが出来ない。
 安穏と表むきの生活を営んでいる
 今の自分の後ろめたさがそれに拍車をかける。
 
 そして彼女の周囲に居る特殊な顔を持つ人々も、
 あえてそれを彼女に気づかせようとしない。
 香の自己評価の低さは、真っ当な社会経験を得たことがない
 自身の引け目に由来するもので
 彼女の本来の機動力・仕事の遂行能力の高さを知るためには、
 裏稼業から完全に足を引かせ
 普通の女性としての生活を営ませることにしか
 解決策は無い事が分かっていたからだった。

 

 その日も昼下がり。
 
 暇なのよ、と日課のごとく顔を見せる香に
 美樹は笑みながらコーヒーを出しつつ尋ねる。


 「今日は何してきたの?」

 「んーと、掃除でしょ、洗濯でしょ、
  夜のごはんの仕込みもしてきたの。 
  それからパイソン以外の遼の銃器の確認と手入れね。
  数量がちゃんとあるかどうか確かめて、
  (遼のパンツの数も確認してるんだから!と香はニヤリと笑う)
  全部に油差して磨いてきた。
  一応全部解体してからだったから少し時間かかったかな?
  で、ここで一休みしたら掲示板確認しにいって、
  ゲンさんの様子見に行って、海坊主さんに紹介してもらった
  あの人のところに注文品を取りに行って、
  そいでお家に帰ろうかなぁって思ってるよ?」


 ゲンさんとは遼が懇意にしている情報屋の一人で、
 風の噂に大量の飲酒による肝硬変で体調が悪いと美樹も聞いていた。
 海坊主の紹介とは、火薬を密売する中国系商人の事だった。
 アンダーグラウンドの商売では必ず紹介人の仲介が必要となり、
 海坊主の人脈を香が得られたのは彼の弟子としての顔もあるのだ。
 
 たかだか午前中の数時間で全てをこなし、更には遼のお守りまで…。
 銃の解体整備も慣れなくては一丁のソレを
 無事に再びローディング可能な状態にするのに
 一体どれだけの時間をかけたか、と美樹は自分の過去を振り返る。
 

 のほほんと語る彼女の実務能力の高さと確かさに、
 遼は絶大の信頼を置いている。
 しかしそれを彼女は分かっているのだろうか?


 「ねえ…冴羽さんって銃器を全部香さんに任せてるの?パイソンも?」

 
 「ううん、パイソンだけは自分でやっているけれど、
  武器庫にあるものは全部私が管理してるよ。
  結構、量が多くてね…んでさ、抜き打ちみたいに調べにきて
  少しでも状態がまずいと私のこと怒るんだよ!
  ひどいよね、んなら自分で全部やれっていうのさー」

 
 「というより、いつからそれを?」
 

 「ん?んーーー?んと…そうだ。銀狐と戦った時だ!
  あの時、内緒でごっそり地下の武器庫の品物を出しちゃって。
  その後で片付けしろーーーっ!って怒られて。
  その後、お前みたいなやつが二度とこんなことをしないように
  鍵を付けたから、中のものは全部お前が管理しろ。
  いつでも使える様にしとけって。
  弾薬とかの消耗品は遼がいつの間にか補充してくれてるけど、
  それ以外は全部私が担当なんだよ、それ以降ずっと。
  だから武器庫の鍵は2本かな?」
 
 
 新宿で裏稼業を営むものなら、絶対に知りたいと思う情報を
 危機感なくぽんぽんと口に出す香。
 大量の警察非登録重火器の存在。その所在。
 そしてその管理方法。
 毎朝の店内掃除の中に、盗聴器チェックを
 入れておいてよかったと心底安堵する。
 

 「ねえ。冴羽さんってめんどくさがっているんだと思う?」
 

 美樹は気づいてほしいと願った。
 愚痴を垂らす相手として心許されている自分だからこそ
 裏稼業に関わる覚悟と、その活動を支える道具達を
 任されていることの意味を。
 

 香はしばし目線を美樹から逸らす。
 揺れるまなざし。不安げな光をともしながら心と会話している様子。
 彼女の逡巡を、急かすようなことはしない。
 
 行動が鈍重であるように見えたり、
 相手の心の機微に対して察しが悪いと思われるのは、
 相手がずば抜けて身体能力の高く、
 心理的な切迫状況に対し訓練された遼だからであって
 本来の彼女は聡く、そして慎重に物事を考え
 結果を導く女性なのだと美樹は分かっていた。
 
 ことばを選んで心を決めたように背筋を伸ばし、
 ズバリと視線で美樹を射抜く香。
 その揺るがない姿勢と表情に美樹は見惚れる。きれい。

 

 「わたししか、出来ない、と思うの。
  そして、それが、私がここに居たいと思う意味」

 「冴羽さんのパートナーをってこと?」

 「違うの」

 「ん?」

 「兄貴が居なくなって、最初は仕方なくだった。
  色んな事を選べたはずだったのに、
  兄貴のパートナーだった遼のところに行くってなんとなく思った。
  何度も守られて、その度私ってグズだなぁって思って。
  でも行き先がなくて。
  でもね…」

 「うん」

 「そうやって重ねてきたものの中に、きっと意味はあると思ったの。
  だから、毎日大事にして、ちゃんと生きなくちゃって。
  やれと言われた事をちゃんとこなしても、
  一瞬の気の緩みで遼は遠くへ行ってしまうかもしれない。
  だからその時、私は自分のしていることで
  一切の後悔をしたくない」

 「信頼されていると思っているから?」

 「私は遼を信じてる。何があっても、私を遼は見捨てないし、
  兄貴のためにも、遼は私を守ってくれる。だから、私はそれに応えたい」
 
 「答えになってないわよ?」
 
 「見えないものだから、確信なんて持てないよ。
  遼が私を信頼してくれているかなんて。
  だけど、私は遼を信じている気持ちに正直で居たいの。
  遼が手に触れるもの全て
  常に完璧に作動する状態であることを保つことが、
  遼が望んだ幾つかのことのうちのひとつだから…」

 
 
 信頼を、愛と置き換えても良いほどの悲壮さを込めて、
 一言一言を放つ香。
 ”遠くへ行ってしまう”事が比喩であることも含め、 
 遼と共に居る事の覚悟は言外にびしびしと伝わってくる。
 
 
 ああ。彼女も裏稼業の一員だ、と美樹は思う。
 普通に生活している人々と同じくらいかそれ以上の常識人でありながら、
 自らを過信せず己の気持ちに正直でありたいと願う、光を纏う闇の住人。

 
 何も心配することなどなかったのだと改めて感じた後、
 そうね、と話を切り上げ
 新宿の街の些細な変化について矛先を変える。
 香は美樹の真意に気づくことなく、快活に話を弾ませて店を去った。

 

 香は知らない。

 遼の日課が緻密に香の行動とリンクして居る事を。
 盗聴器のチェックを始めたのも余りの「偶然」の重なりからだった。

 美樹は偶然など信じない。
 



 遼の出現は香が去ってキッカリ10分後。
 彼女の歩幅と速度から考えて、駅周辺に到着したと思われるタイミング。

 「よぉ〜…」

 「今日も、どこかで貴方は地獄耳を発揮しているのよね?
  そして私を責めるのよね?」
 
 「ななな、なんだよ美樹ちゅわん」

 「香に余計なこと言うなとか、俺のやっていることに口出しするなとか
  変な知恵つけるなとか、毎日毎日一体どうやって知るのよ!!!」

 「さぁぁぁあ?何のことかさっぱり分からないよリョウちゃんはぁ♪」

 「ふん、タヌキ!」

 「ま、一言だけ言っておこうか。
  感謝は…してるんだよ…だけど言えねぇ・・・。
  性じゃねえんだよ・・・っていうかアイツの前でだとそういうの・・・」 
  
 「ファルコンが居ないと妙に真面目じゃない?」

 「まぁ、な…タコにそんな機微があるとも思えねぇしな・・・。
  タコはタコだから美樹ちゃんに墨ばっかり吐いてるとか?」

 「あらぁ…」

 「俺は美樹に感謝はいつも述べているぞ!!」


 ファルコン、ナイスタイミング。
 彼の地獄耳は聴覚を失ってからより一層冴え渡り、
 地下で作業をしていても怒声で茶々を入れる。


 「うぉ、タコ坊主、すげえな…。
  おれはそんな茹で上がるような才能ねぇよ」

 「うるさい!リョウ!
  おれが手を離せないからと言って勝手なことを言うな!
  香に少しは優しくしてやれ!」

 「へいへい、おれブレンドね」

 「はぁーい。そうそう、お豆、持って帰ってね。
  香さんに頼まれてたの忘れてた」

 「俺の好みのヤツ?うれしいねえ・・・」



 なんとなく、微笑が漏れる、美樹だけの幸福のひととき。
 喫茶店を作りたいと願った夢が叶い、そこですれ違う想い人たちが
 静かに気持ちを述べていく、穏やかな日常。

 流血の赤の瓦礫の上に載せた、
 わたしたちの勝利が何時までも続かないのだとしても
 ただこの一時を共有できた全ての人に感謝して、
 私は散ることが出来ると美樹は確信する。


   
 
 

 fin


 080322



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