no.28 ツケ

Crossing accident(クロッシング・アクシデント/交差するもらい事故)


店の中休み。
裏口から薄闇が支配する路地に出れば、
瓶ビールの空き箱や一斗缶が整然と置かれ、
簡易休憩所の趣をかもし出している。


酒臭い息を首筋に吹きかける親父。
ぶっ殺してぇ。
客だったらホステスに何でもしてもいいのかよ。


総毛だった神経を少しでも慰めるように、煙草に火を付ける。


後れ毛までも、かっちりとスプレーで固め、
爪の先はピカリと尖り、色と光の瞬きに満ちている。
身を包む鎧は、シルクに模した一枚のドレス。 
到底長時間は歩けないだろう、ピンヒールのサンダル。

  
足を組み、ゆらゆらと動かしながら
取りとめも無い考えに身を委ねる。



・・・戻る前に、歯ぁ磨いて、化粧直ししとかないと。
今日は、なんだか、夜が長い、な・・・。


 
コトリ、と物音がする。


体中を蝕む倦怠は、
首を即座に動かすことも出来ないほどに蓄積している。
どうせ野良猫だろうとタカをくくり、気がついていても
そちらに意識を払おうとも思わない。
 


「お疲れ、だな」



カチリ、とZippoの蓋を開ける音。
一瞬の焔に照らされる、見知った男の顔。
 


「・・・リョウちゃん。お久しぶりね」


  
不意にやってきては、すっと姿を消す。
大抵は店に厄介な客が訪れた時。
時と場合によって、自らも客として酔態を晒したり
あるいは気配も感じないほどの闇の中で問題を処理する。


処理の方法など、知ったこっちゃ、無い。


どんな早耳が後ろについているかはわからないが、
確実に彼はこの界隈の用心棒として頼られている。



「最近、店は穏やかなようだな?」

「穏やか過ぎて反吐が出ちゃう。いやーな親父ばっかりよ」


 
ハハ、と笑いながら彼は私の左隣に腰を下ろす。
暖かく、大きな手が肩に回され、ぐいと抱きしめられる。


逃げようと思えば逃げられる体勢。
迷いの無いその行為に、他の客がもたらす粘度は感じない。


同じ”男”なのに。


カタン、と関節でつながれているだけの操り人形のように
彼の右肩に首をもたせかける。


それを了承と受け取ったのか、
黙ったまま、彼は利き手を私の胸元に寄せ
薄い生地一枚の下で凍えている私の右胸を下から揉みあげる。

   
ゆっくりとそこにある質量を確かめるように
滑らかに動く彼の5本の指。
親指の下で硬さを増し、ぴりり、と快感を伝えてくる乳首。
 

しばらく
捏ね回されるがままに意識を飛ばしていると
私の女の中心が、とろり、と襞を通して涎を垂らすのを感じた。



「・・・リョウちゃんのボトル、まだあるわよ」


 
引き止める意図が無かったといえば嘘になる。
彼との奈落に堕ちる誘惑に従ってしまいたい。
そんな一瞬の欲望を、次の彼の言葉が遮った。



「ツケ、結構たまってるからな」



この街の界隈で、彼が作った飲食店の付け書きのほとんどを
そのパートナーが申し訳なさそうに支払っていることを
私ですら、知っている。


眩しすぎて、時折直視できない、ごめんなさいの笑顔で。
私たちのような者には
容易に近寄れないような、明るい光を放って。 
  
 
こちら側に居る者は、あちら側に戻れるのか。
いつ、私はその川を渡ってしまったのか。
  

戻り方すら忘れてしまった、
遠い過去の自分を見るような面持ちを香さんに見出す。
それを後生大事に守り通す漢気が、私に男への嫌悪感を忘れさせる。
少々の、ちくりとした嫉妬心と共に。



「香さんに、伝えておいてよ。
 払わなくてもいいから、たまにはお茶しに店に来てよってさ。
 あたし、大抵は早番だから、夕方くらいから入ってるし」


「ああ」



恐らく、オーナーは
彼の飲み代など、用心棒としての心付けの中に
含まれる程度にしか思っていないだろう。
けれど、香さんの来訪を待ち、架空の請求書を作る。
それは、この店の本当の値付けから考えれば、
嘘のように安いものだ。

 

彼が作る、形ばかりのツケが私たちと香さんとを知己とする。
法によって結ばれたものではない、たやすく反故に出来るものを
絆と思わせるのは、恩義を忘れぬ香さんの真っ当さ故だ。



彼の腕から自分の身体を引き剥がし
そっと立ち上がりついでに、
お互いが取り落としてしまった、
灰になりかけている煙草を踏み消して彼に言う。


「いい加減、覚悟決めたらどうなのよ。
 こんな女の乳揉んでないで、
 さっさと大事な女をモノにしなさいよ」

 
彼はニヤリと哂い、こう切り返してきた。


「あんたとのほうが、存分に楽しめるだろ?
 色々、面倒くさくてかなわんのさ」
  
 
その面倒に、かけがえの無い幸福を見出しているくせに。
同じ匂いを身に染みこませてしまったこそ、分かる彼の本音。

   
今日出勤してはじめて、心からにっこりと笑い返して、
彼が言葉を繋ぐのを待たず
私は人工の光に満ちる店内へと戻っていった。













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060905




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