no.37 トラブルメイカー

桜花錯乱− Cherry petals fell like snowflakes, make a man's head confusion



 「ねえ、ミック?
 桜って本当は白いのに、どうしてピンクってイメージがあるのかしらね」 

 
 竹のようなカオリの後姿、ほのあたたかい春の日にベランダでしなる。
 珍しくぽっかりと予定が空いてしまった午後の時間。
 鬼の不在を確認したうえで、コーヒー目当てに彼女の家へ。
 

 「ぼくは元々日本人じゃないよ?
 そのあたりの事は君のほうが良く知ってる筈」

 「ふふ、そうだった。私より物知りだから、つい聞きたくなっちゃった」

 
 ビルの合間に見えるのかどうか分からないのに
 御苑の桜並木を細目に浮かばせ、
 身体から春の喜びを滲ませる彼女を見ているだけで、
 己の心がどこかゆるゆると融けてゆくような安息に包まれる。


 「ソメイヨシノは咲き始めは薄桃色だけれど、
 満開になるにつれて白くなるんだよね。
 そして、いきなり枝に葉をつけない状態で開花し、
 1週間程度で散ってしまう。・・・”花は桜木、人は武士”なんてね」

 「ほら、私が知らないことをミックは知っている。すごいわ」

 「まぁ…表の顔は特派員だし、ジャーナリストだし、ね。
 知らなければ調べるよ。君にすごい、と言ってもらえるためにも。
 カオリ、花見に行こうよ」

 「んー…リョウの布団干しちゃったし…お洗濯も取り込まないと…
 倍速でがんばるからコーヒー飲んでてくれる?」


 ぱたぱたとスリッパの音も軽やかに、彼女がリビングから去っていく。
 空間が色あせ、緊張が重くのしかかる。気温も何も変わらないというのに。
 その転換があまりにも早くドラマティックだったものだから、
 この寂寥を春の憂鬱と呼ぶのかもと、口元に苦笑が浮かんでしまう。

 

 俺らしくない。
 ついでに言えば、こんな平凡な日常を自らの内に存在させる、
 リョウもあいつらしくない。 

 カオリはとっくのとうに俺らが捨て去った善良の化身だ。 

 善良は聞こえはいいが、愚鈍でもあり、純粋なゆえに頑固だ。
 妥協を知らず、己の正論を通すことによって
 正しさがもたらされると信じている。
 俺たちとカオリが属するべき人々とは、本来磁石の反発軸のように
 お互いを意識しながらも、離れていたはずだった。

 カオリのわかりやすい素直さが、純真さが、やさしさが、全幅の信頼が
 俺たちの心を射抜き、膝を折れさせる。
 愛しさと明日への光に満ちて、まぶしいくらいだ。

 だが、それは崇高なものであればあるほど、憎らしい。疎ましい。
 いっそ彼女をとことんまで敵としてみなすことが出来れば
 自分の心が楽になるのではないか。
 彼女を汚して泣かせてしまえば、
 己と同じ黒い世界に引きずり込めるのではないかと暗い炎が心に点る。


 半刻もそんな思いに囚われて、ここへ来るべきではなかったと後悔する。
 日本人の集団メランコリックだとばかり思っていた春の魔物に、
 暖かい空気と花の幻惑に、どうやら俺も取り付かれてしまったらしい。

 
 そっと立ち去ろうと腰を上げたとき、カチャリと音がして彼女が舞い込む。
 飾り気の無いパンツスーツ、だけど色はやさしい薄桃色。
 急いで支度をしたのだろう、頬がわずかに上気して、スーツと良く似合う。

 若さの年頃らしい、光を伴う美しさを目の当たりにして
 己のものにならぬ歯がゆさゆえか、子供めいた悪戯心が湧き上がる。
 手に入らないのなら、泣かせてしまいたい、翳らせたい。



 「Wao!You're so Beautiful! 
 カオリ、きれいだよ。桜にも負けないほど、ね」

 「あ。ありがとう・・・リョウはそんなこといってくれないよ」

 「あいつは口下手なのさ。レディーを扱うすべがなってないよねぇ…
 だけど、日本人は物騒なことをするもんだね、花見って習慣は」

 「え?どうして?」

 「だって、ピンクに染まった桜の木の下には、殺された人が埋まっている
 のだろう?血を吸い、肉を喰らい、見事に美しい花を咲かせる、って。
 だからカオリは僕に気を使って”白い”桜を見に行こうと
 してくれているんだよね?」

 「それは迷信よ!というより、そういう本があるだけ、でしょう?」

 「ずいぶんすごいイマジネーションだよね。実際にあったりして」

 「そんなこと無い!」 

 「俺らの商売、カオリは忘れたわけじゃ、無いだろう…?
  カオリと出会う前のリョウは、いったい新宿で何をしていたんだい?
  スイーパーは一撃必殺のみならず、証拠隠滅までも依頼に入っていれば
  請け負うもんだぜ?」

 「・・・」

 
 「もーしかしたら、御苑の下に埋めてたりするかもねぇ♪」

 

 反論の出来ない顔が桃から朱に染まる。
 大きな目をさらに見開いて、目じりに丸い水滴を浮かばせ、
 かすかにぽってりと厚みのある唇を開いたり閉じたりしながら
 自分の心と必死に戦うカオリの顔は
 そのまま抱き寄せてしまいたいほど、壮絶に色気を放つ。

  

 カチッ 


 聞き間違えるはずの無い、背後からのロックオン完了音。
 かすかであってもそれを逃せば。
 俺がここで濃い桃色の花を胸元に飾ることになる。 

 悪戯心もここまで、か。

 しかし、リョウも、とことんまでカオリに惚れ抜いているのな。
 ちょっと言葉でいじめるのも、だめってか。


 「・・・うそだよ、カオリ。あんまりにカオリがきれいなもんで、
 つい、意地悪しちゃったよ・・・そう、そんなドレスアップしてるんだから
 掲示板見に行ってきたらどうだい?実は、これから出版社と打ち合わせ 
 入っているのを忘れちゃっていたんだ」

 
 「うん・・・ミックったら、突然怖いこと言い出すんだもの。
 びっくりしたよ…
 気をつけていってきてね、私も途中までいっしょにい」


 気配を際立たせ、遠くから聞こえる猛禽のあくび声が割り込んでくる。 

 

 「うおーい、香ぃ・・・コーヒー・・・」


 グッドタイミングだと思った。
 策士が策を労し、それを気取られないのは当然のこと。
 香の鈍重さが堅牢な平和を築き上げ、あの男はそれを守ることに専念する。
 俺の退場は確定、だな。

 

 「じゃあね、カオリ、君は桜よりきれいだよ!」

 「ミック、冗談が過ぎるわ!」



 桜のようにはかなく見える極上の笑みを眼窩に焼付け、
 俺は玄関へと向かう。
 扉を閉じる瞬間、誰かの声がうっすらと聞こえた…。



 「咲き誇るチェリーブロッサム、お前には手折らせねえ。
 枯れさせるも、盛りを伸ばすも、俺のためだけの桜だ



  I know perfectly-certainly about it, Don't Worry RYO.
 (かんっぺきに分かっているさ、心配すんなよ、リョウ)


 




 fin

 
 070406 for Ms.C - Don't give up! Stand for It!




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