no.19 日常

Cutting a hesitation with my hair(恥じらいと髪を切って)




「Ryo, thank you, I want to do something for you.
 …You want me?」
(リョウ、ありがと。なんでもするよ。・・・私のことほしい?)



monique(ムニク)と名乗ったその娘はまだ年端も行かぬ少女で、
差し出すと言われても正直割瓜もおぼつかないような
細い身体をぴったりと俺に預けていた。

日本でありながら異界に迷い込んだような暗い新宿の路地で、
暴力団の男に恫喝され騙されかけていた所に行き当たり、
なし崩し的に助けてしまった。
こんなことなら出歩かなければよかったと思うも、後の祭り。



アジアの母国に居る家族の期待を背負わされながら、
何にも縋ることのできない少女に
同情心が無かったといえば嘘になるが、
それよりも自分の目前で起こりかねなかった
悲劇の火の粉をかぶりたくなかったというところが本音だ。

頼られるのは御免だ。

それでなくとも己にとって
悩ましくも手放しかねる者を傍に置いておくことに
後悔と懺悔を感じない一瞬は無いのだから。
そして、無垢なムニクを女として見ることは不可能だった。





「What can you do?」(お前、なにかできることあるのか?)

「Well…I am good at hair-cut!」(髪の毛切るの上手だよ!)

「Ok, Show me that」(そうか、じゃあ俺のを切ってくれ)





失敗だったと悟ったのは、視界の端に映る者の姿を確認した瞬間だった。
少女に手を引かれ、桃色のネオンの看板があざとくも
ゴテゴテと飾られた店内に入る己を目撃されては、
抗弁のしようは全くと言っていいほど、無い。

己の放蕩に慣れていないはずは無く、また想像もしていただろうに、
実際に目の前で見た風景への衝撃に身を固め、
そのまま踵を返し雑踏に埋もれた女は何を思ったのか。

敏い少女は自分の動揺をすぐに察知する。
そうして小鹿のごとくしなやかな四肢を走らせ、
その勢いで女を呼び止める。





「Execuse me! Lady! Are you Ryo's someone?」
(すみません!あなたリョウの彼女ですか?)

「えっ・・・と・・・ごめんなさい、日本語しかわからなくて・・・」





香は追いついた俺と少女とを見やり、ハンマーを出すべきか迷っている。
それはそうだろう。
どう見ても俺がロリコンに走るとは思えないのに、
実際は「花びら回転!60分一本勝負!」などと
掲げられた店に二人で入ろうとしていたのだから。

天誅を下すべき相手にではなく、
寧ろ彼女にとって守るべき存在の少女から声をかけられては、
香は動揺するしかない。



「カミ、キル」。必死に少女は香に訴える。
自分は性的サービスではなく、
純粋に散髪を彼に施すために店内に誘ったのだと。

説明するのも億劫になり、
俺は少女に「またな」と声をかけ、
気勢をそがれたような形で家路への道を歩き出した。



ソファーに寝るともなしに寝転び、コーヒーポットに沸いていた
朝食の残りのコーヒーを飲みながら紫煙を燻らせていると、
慣れ親しんだ気配が訝るように流れ込んできた。

ムニクと彼女の面識が成立したのならば、
これで少女は香の街中での気配りルートのひとつになる。

あの子にとってもその方が何かと好都合であろうだろうし、
俺は面倒ごとから解放される。





「…遼…」

「何だ?」

「私は、あの子のいうことを信じていいのね?」

「ああ」

「…知っていた?私、アニキの髪、切ってたのよ。
 散髪代が勿体無いからって、アニキ、私に切らせてたの」

「そうか」

「遼の髪も、切ろうか…?」

「勝手にしろ」





本当に、どうでもよかった。
それまでは見知りの店のホステスが美容師を目指しているというので、
練習台として切らせてやったのが始まりで、
以来その女に切らせていたものだった。

額の銃創もノータッチ、そして女への返礼はカジュアル・アフェアーだ。

愚図愚図と迷う姿を見ているのがもどかしく、屋上へと逃げた。
今までの散髪の経緯を聞かれることは明白だったから。

眼下の町並みが夕景になる頃、
大荷物を抱えて香がやってきた。
簡易椅子、白いクロス、霧吹きや、散髪用のハサミに櫛。





「えへへ…ずっと、使ってなかったから、探すのに手間取っちゃった…」

「ふーん」

「さて!じゃあ遼のも切ろうか!ここに座って!」

「切りすぎるなよ…?オトコオンナのお前は加減ってもんを知らないからな」

「わ、分かってるわよ!・・・隠すべきものは隠すし、ちゃんと整えるわよ!」





目を軽く瞑り、周囲の気配に神経を少々割きながら、香の動きを読んでゆく。
漆黒の視界に浮かぶのは槇村の顔だ。
常に清潔感を漂わせていた揃った髪の襟元、整えられたもみ上げに前髪。
困ったことがあると、自分の頭をくしゃくしゃと掻き、
眉根をひそめるのがあいつの癖だった。

槇村、お前もこんな気恥ずかしくも
妙に素直になってしまう時間を過ごしていたのか…?



クロスを肩元にかけられ、細い指先が自分の髪全体を優しく撫でる。
頭皮に絶妙な力具合で当たる指の腹。
長さのアタリをつけているのだろう、
香の十指全体が己の頭と髪を梳いてゆく。

毛根に刺激をあたえられながら、
髪を適度に引き伸ばされ霧吹きをされれば、
己の周囲全体が水のイオンに包まれる。



もともと細やかで几帳面な性格の香らしい、
丹念にゆっくりとハサミを振るう音が耳元に届く。

一度切るたびに、同じところを指で確かめるように
梳き上げてゆく手つきを追う。

香の指が、身体の動きが、自分の髪だけに
集中していることを満足と思う自分が居る。

散髪に熱中してゆく香の身体が
微妙に自分の背に、肩に、耳元に近づく。


熱い吐息、微かに感じる乳房の膨らみ。

手を回してしまえば、細くしなるであろう柳腰。

そこから繋がる美しい双丘の曲線は、

見えなくとも実体としてそこにある。

穏やかだが、香が俺にあたえる快楽が脳髄から下垂してゆく。

トロトロと。

己の興奮を、香に悟られてはならない。

なぜだかそれだけは、この瞬間だけは

邪念と無縁で居たいと思う自分が居た。





「んーと、後ろは終わったから、前切るよ!まだ目をつむっててね!」





触れるまでもなく、
簡単に思い描くことの出来る
伸びやかで成熟した女の四肢の気配が己の前面で止まる。

俺の前髪を見ている香の視線が身体中を捕らえ、拘束する。
それでいい。でなければ、俺は抱きしめてしまう。

吐息は甘く薫り、更なる集中を伝えてくる。

何も塗らずともつややかに色を湛える唇、通った鼻梁、
全てが見えずとも己の目の前にある。



その唇に己の口を合わせ、思い切り吸えばどうなるのか。

どんな風に俺は変わるのだろう。

香の肌に触れることで、

俺は何を得て、香は何を失うことになるのだろう。


香の指先が己の頭を柔らかく通り過ぎるたび、
逡巡と興奮が入り混じった奇妙な気持ちに囚われる。





「よーし!こんなもんかな・・・。終わったよー!鏡見て!」





目を開ければ、にっこりと笑う香の胸元に、手鏡。
長かったのか短かったのか
時間の感覚も喪うほどに俺は緊張していた。

鏡に映る己の顔は無表情。
だが、美容師希望のホステスが切った時より
男前に変わった自分が映っていた。





「…ま、こんなもんだろ」

「なにそれ!ちょっとは上手だな、くらい褒めなさいよ!」

「まあ、な。じゃ、次もよろしく」





このままここに居る事が何より危険に感じた。
己が崩れるような恐ろしさと、
一時の興奮で香を滅茶苦茶に愛してしまいそうな
自分を押さえるのに必死だった。

だから香の顔も見ず、そのまま夜の街へとゆるりと足を進めた。


だが、次に髪を切られるとき、俺は抑えていられるだろうか。
立ち昇る花の盛りを手折ることもせず、
ただ守ることが出来るだろうか。

なあ、槇村よ。
お前は香とのこの時間、どんな風に過ごしていたんだ?
靄がかかるように幸福を届けてくる指先に、
ただ安寧だけを見出せていたのか?


お前の大事な妹を、俺は・・・。







fin.




070626


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