no.3 伝言

ほんとうに、やさしい…



 「おまえが邪魔なんだよ…野上刑事さん」


 広域暴力団の一枝を構成する組織に属する男の
 銃刀法違反に関わる捜査で張り込みをしていた時に、
 彼が呟いた皮肉の言葉。


 「槇村?・・・いま、何と言ったの?」

 「邪魔、なんだ。だから、早く、帰れ」

  

 私の全てを否定されたと思った。

 
 刑事は基本的に2人1組で動くもの。
 そう言って彼の言葉に反論しようと思ったそのタイミングで、
 コツコツと叩かれる車の窓。

 有無を言わさず私を車から放り出し、
 交代要員の刑事と共に冷たい横顔で私の言葉を拒絶した彼。

 内心から湧き上がる怒りの濁流の行き先は
 どこにも見出せる事はなく
 ただ静かに黒く冷たく固まっていった。

 女だから?
 誰も組もうとはしなかった私を引き受けたのは憐憫だったの?
 
 何故?
 説明もなく鼻先で扉を閉められても毎日は続き、
 個人的な感情よりも事件の解決を急ぐほうが
 私たちの間での優先順位は高かった。

 
 


 時折向かう歌舞伎町のバー。
 潜入捜査のときに使わせてもらった
 酒場のマスターは元警察官で、御礼の意味を込めてボトルを入れた。 

 

 事件が解決した時や
 迷宮入りしそうになる焦りを一時納めようと思うとき、
 様々な局面でその店に、私と槇村は、たびたび訪れた。
 祝いだと騒ぎながら、作戦会議だと言いながら。


 槇村が警察を辞しても

 槇村の顔を見ることが叶わなくなっても

 私は何故だか、ここに向かうことを止められなかった。


 約束など無い。
 ただ一人、カウンターで空けるグラスの琥珀の光が美しい。
 ひょっこりと訪れるかもしれない彼を待ち、
 訪れないと分かっていても
 この場で交わした言葉を思い出すために。
 持て余した思いが溢れる吐息を吐き出せば、
 彼が好んだ香気が鼻先をくすぐる。 
 
 
 隣に座るまで、気が付かなかった、見知った男の気配。 


 「冴子、今日は飲みすぎてないだろうな?」

 「…遼。相変わらず神出鬼没ね。夜の見回りかしら?」

 「お前の気配がしたんだよ、びんびんとな。今日こそ借りを返してもらうか」 

 

 マスターが無言で遼の分の飲み物を作って出す。
 お互い、酒になど本当に酔ったことが無いと分かっているからこそ
 冗談が冗談にならない瞬間がある。


 「ふふ、利用させてもらえるわけ?」

 「お上手だな。だが、俺は誰かの代わりにはならんぞ」

 「冷たいのね」

 「優しい、と言ってくれよ」


 遼の中に居る槇村は、決して彼を邪険になどしなかっただろう。
 パートナーとしての私を断ち切り、彼を選ぶ決心をした理由を
 私は未だに知ることが出来ず、永遠にわかることが無い。

 飛沫のように浮かぶたくさんの疑問の数だけ、
 私は槇村に束縛され続けた。
 それを無かったこととして思い切る事は出来ない。


 槇村は、私に、優しくはしてくれなかった。

 ひとりに、した。

 そうさせたのは隣の男だとも分かっていても、
 
 なじる前に心細さが先立って、上手く言葉が出ない。


 沈黙と共に過去の沼へ落ち込んでゆく私の隣で、
 遼は長い時間を過ごす。
 贖罪の祈りのように。
 紫煙が尽きるころ、ふい、と思いついたように言う。


 「おまえ、ここで何回ボトル入れた?」

 「え?」


 突然問われる現実的なクエスチョンで、我に返る。
 長いこと来ているのに、
 そういえばいつもボトルには液体が満たされている。 


 「あいつさ、お前が居ない時に限ってここに来てたみたいだな。
  それでマスターに何か頼んでたらしいぜ、な、マスター?」


 話しかけなければ語らない、
 巌のような頑なさを身体全体から放つマスターが
 ふっと頬を緩ませて、遼の質問に何かを思うような眼差しをする。


 「本当に、不思議だったねえ。あんたが来た次の日とかに
  槇村さん一人で来て、ボトル少なくなってたら足してよってさ。
  あんたが座る席に座って、数杯飲んで。
  あんたがやっているみたいにぼおっと何かを考え込んでは、
  またふいっと帰って・・・似てるよ、凄く」 


 「待って!彼が来なくなってからは?」

 「言っちゃってもいいのかなぁ」

 「聞かせて!」

 「”野上さんが来る間、絶対にボトルを切らさないでくれ”って、
  前金もらったのよ。ちょっとぎょっとする金額だったよ。
  思いつめてたねえ。こっちは先に貰ってる分は問題ないし、
  断る理由も無いから今も預かってるよ。あんたが一生かかって
  飲む位はあるから、ま、これからも来てよ」


 遼が黙ってグラスを傾ける。
 不在を慈しむように、あるいはまるで3人で飲んでいるかのように。
 
 来れば酩酊の声が遠くに感じるまで
 数杯は飲んでしまうボトルが減らない理由に気が付かなかった、
 自分の至らなさに恥じ入るような気持ちに支配されて唇を噛む。


 「”冴子は、がんばりすぎるからな、時折俺が悪人にならんといかんのよ”
  あいつの笑顔ってさ、たまらないよな。何でそれを当人に見せないんだか」

 

 「…槇村が貴方にそう言ったの?」

 

 「冴子冴子うるせーんだよ。香のこともぎゃあぎゃあ言ってたがな」

 

 邪魔だといわれて私が憤るのも、お見通しだった。
 あの日、家に帰った瞬間睡魔に襲われてしまったのをふと思い出す。
 言葉にしない私の強がりをも見抜き、状態を把握されていたのだとすれば
 彼の言動の裏側の思いがいまさら私を包み込む。

 

 ほんとうに やさしいのは だれだったの?


 「ねえ、借り、返そうか?本当に」


 「今のお前とはもっこりしても面白くなさそうだしな、やめとく」

 

 ほんとうに やさしいって どういうこと?


 空になったグラスの水滴が涙のように見えて
 またね、も言わないうちに、遼はバーの扉からするりと消えていった。




 fin.



 070329





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