no.47 誓い

Ease disEASE easily




偶然だったとはいえ、
挨拶として手を握るより早く、
熱い血の通う硬い鉾を握り締めてしまった男の顔を思い浮かべる。
整然と並ぶ研究室の冷たさが好きだ。
揺さぶられる気持ちの重さに惑うことがない分、
私自身の能力と倫理を存分に発揮できる、完璧な世界。
彼はそこに強引に入り込み、そして私の感情を奪っていった。


真っ当な研究の世界に戻る事が出来ない事件を仕出かした私を引き受け、
助手として登用してくれた教授は医師としても十分な経歴を持っていた。



「これが、遼の回復記録だ。
 カルテとまではいかんが、あいつの状態を把握するのに役立つだろう。
 じゃあ、頼んだぞ。
 それを読めば、あいつがくたばったとしても仕方ないと思えるだろうて・・・」
 


教授が渡したノートは本来の重量より、
ずしりと私の手の中に沈むように納まる。
表紙は焼け焦げ、中身は所々破れている。
色褪せて汚れたそれが見せる表情は、彼らの過去の壮絶さを無言で語る。


私は詮索されることが嫌いだ。
だから、人の事情などを考えるのも億劫で精神的に重くなる。
引き受けられるのは、新しい研究対象の観察と回復の経緯を、
後の研究のために残しておく事だと割り切って頁を繰る。 
 

エンジェル・ダストと呼ばれる麻薬、
フェンサイクリディン(phencyclidine)の過剰投与が
ミック・エンジェルの瀕死状態を救った。
しかし両の手から上腕にかけての激しい火傷と全身への感電を伴っている。
 

私の心を奪った、彼の身体が
くぐり抜けてきた試練を読み取り、失われた場所が疼く。
 
 
遼が投与されたそれよりも
未知数で効能のみを特化させた麻薬からの脱却は、
このノートが語る病状の回復よりも
凄まじく苛酷なものになることは想像が付いた。


本来は麻酔薬として開発された薬だけに、
どんな薬を回復のために使っていいかも解からない。
外傷を治す塗り薬とて、どんな複合効果を彼に及ぼすか解からない。


私は医師ではなく、研究者だ。


たとえ死亡という結論に至ったとしても、
サンプルとして私の元にやってきたこの男の全てを見つめ、記録していこう。
・・・教授から与えられた「看病」というこのプロジェクトは、面白そうだ。


 




 


四肢を拘束具で固く諌められ、
顔には舌を噛み切らぬように口枷が嵌められた男。
 
 
自身を自らの幻覚の中で傷つけぬよう取った
防御措置とは言え、24時間監視をしていると
彼の悶える様は空虚な自分をも動揺させかねない映像として脳裏に残る。
 

腹の底から叫べるうちはいい。
身に降りかかる災難を怒りに変え、くぐもった音で咆哮する喉。
ガタガタとベッドが振動するほど、ひとりでに痙攣をはじめる全身。


栄養補給のためにつないだ点滴の管は身体ごと引きちぎられ、
瀕死の男を襲う断絶直前の痛みが持続していることがわかる。


全身を焼き尽くす感電の記憶は身体に刻み込まれる。
恐らくそれは彼を悪夢という形で地獄へと誘っている。
眼を見開き虚空を見つめ気絶した彼を確認して、
17回目の医療処置を行うために部屋へ入る。 


室内温度を完全に調整し、
全裸のまま夢と現実を漂う男を見つめ続ける。
 
 
衣服をどれだけ纏わせようと努力したところで、
私と教授の力では叶わない。
ならば余計なことをしないほうが労力のセーブにもなる。

 
暖かい湯で、男の身体を清拭する。
涎と涙でべとべとになった頬、
彫りの深い眼窩、せめて眠っている間くらい、と口枷を外す。
 

端麗な顔立ちを見つめながら、
この男が遼のパートナーだったのだと、
香さんと出会う前の彼のことを深く知る男なのだと思った途端、
私の中でこの男が「サンプル」から「ミック」に変わった。


優しく、意識を失った病人への義務のように
語り掛けながら身体中をぬぐってゆく。

 
鍛えられた厚みのある胸、
片側の拘束を緩め背中を拭けば、贅肉一つない筋肉の収縮が伝わる。

 
当然垂れ流されていた糞尿も
医療用グローブをはめた手で掃除して、身体を清めてゆく。
 

なぜこのようなことを私がしなければならないのか、という疑問よりも
彼自身がこちらに戻ってきて欲しいと、ただ願う気持ちが私を突き動かす。
脚を含めた四肢をマッサージしながらふいていく。
 
 
「戻ってきて」
 
「私を見て」

「まだ、死んだらダメ・・・」


最後に残った箇所の、変化が私の目を射る。


隆々とそびえる男のしるしが、
彼の命の灯火として、ぬらぬらと光っている。
長く太く、しかし人種に正直なそれは、真白の剣として天上を指し示す。 
収まるべき鞘を捜し求めるかのように。


私は自分の欲求に抗えなかった。
震える手で暖かな布をかぶせ、やわやわと揉みしだけば、
動作に呼応するようにぴくぴくと跳ねるそれ。
ことばより、確かな反応。

 
唇で先端を舐めまわすと、鈴口からあふれ出る小さな雫。
快感の喜びは身体から伝わる。
舌を差し出し喉の奥までぬくもりを飲み込めば、
たちまちそれは更に固く、熱く蠢く。
裏筋をなぞるように砲身を握り締め、
しばらく食べても居ないソフトクリームを舐めるように
上下に舌を強めに動かせば、卑猥な腰の動作がゆるやかに始まる。
 

 
そうよ。
私の口の中に思い切り差し込んで。
私が窒息するほどに埋めて。
遼のパートナーだったあなたは簡単には死なない。
強靭な身体とあなた自身が、あなたの心をこちらに引き戻す。
私はその手伝いをしてあげる。
 


動きに合わせるように喉を使い、先端を攻めあげる。
強く吸えば吸うほど、ミックが戻ってくるような
擬似感に囚われながら
抽送を止めることなく、激しく頭を上下する。

 
オウ、と快楽に満ちた声を発する彼。
その声が、火花となり、
彼の彷徨える心を身体に引き戻すきっかけになった。


口の中で膨れ上がる噴火の前触れ、
それと同時にリズムを早く刻みだす体。

 
四肢は拘束されたまま、支える点はひとつだというのに、
私の口も頭も、彼の生み出す激しい腰の動きのまま、翻弄される。
それに負けないように、強く根元を握り締め、扱きあげる。 

   
一瞬の硬直の後、ミックはある言葉を叫び、
大量の熱い飛沫を放出した。
どくどくと長く続く射精は私の喉を強く打ち、
嚥下を余儀なくさせた後、
急速に収縮を伴い、勢いを失った。

 
始末を終え、傷の手当てを施し、点滴をつなぎ、
口枷をすべきかどうか彼を観察すれば
それははじめての、安らかな睡眠の呼吸。
 
  
地獄とも形容できるような苦しみから 
こちらに引き戻したのは私の行為かもしれない。
けれど、彼が朦朧の中で見ていた光は。



「・・・カオリッ・・・・・・!」



正気に戻ってから告げられる真実よりも、
残酷なものがあるのだと
彼の命の光明を飲み下してしまったあと、思った。
たとえその分泌物に何か害あるものが含まれていたとしても
それは私の引き受けるべき咎だろう。   
 

私がミックに遼の影を見たように、
ミックが心底望んだものを知ってしまった。
まなじりに浮かぶ涙が、深まる孤独の淵にいざなわぬよう、
自分の気持ちをコントロールするのが精一杯だった。


 




 


意識が戻って、
自分の言葉で状態を説明できるようになったとしても
すぐに苦難からの回復に繋がるわけではなく、
ただ天上から降りる梯子の一段目に脚をかけられただけだった。

 
口からものを摂取できるようになってからも、
清拭や排泄といった、直接身体に触れる行為はしばらく必要だった。
しかし、羞恥とプライドを取り戻した彼は
それを遠慮するようになり、
意思の力が加わった療養は加速度的に治癒を促すようになった。


火傷の外傷や身体的な疲労は、
目覚しいほどの速度で回復していたが
マッサージや触診によって、
ほとんど両腕は機能を喪失していることが解かった。
 
 
更に、間隔を予期できぬランダムさで訪れる
幻覚・嘔吐・酩酊感・気分の乱高下など
彼を襲う中毒症状は、教授のノートで予習していたとはいえ、
付き添う私が涙するほどの苦しみを彼に与え続けていた。
 

緩和薬の少量投薬治療、食事療法、
歩くことすら困難だった四肢へのリハビリテーション。
時折引きずり込まれる闇と闘いながら、
ミックは確実に「回復」を目指し、
私が組み立てた治療スケジュールを黙ってこなしていった。



それはまるで、
母に言いつけられたことを全て守る、従順な子どものように。



毎日が怒涛のように過ぎ去ってはいたものの、
それが夢ではない証拠として
カルテや観察記録は2か月分の地層を形成していた。
 

共同の研究室となっている部屋のデスクで経過を書き記していると、
教授がマグカップを片手に午前中のティーブレイクを誘ってくれた。


 
「かずえくん、君にとっては、恋愛など必要の無いものだと思っておらんかね?」

「はい?そんなことないですよ?冴羽さんが私を迎えにきてくれるまで、
 私ここで待っているんですからー♪」

「ふぉふぉ、相変わらず上手じゃの。だがそろそろ、見方を変えてみぃ。
 近くで君を求めている素晴らしい相手がおるぞ」

「誰のことですか?ミックさんですか?彼はペイシェント(患者)ですよ?
 そういう対象になりえませんね」

「かずえくんは、いじっぱりじゃな。
 おしりはこんなにかわゆいのにの・・・・ぉぅううっ、痛いぞぉ」


 
お尻にそっと手を伸ばしてきた
教授の手をちくっとつねって、客室へと向かう。
監禁牢で監視カメラ付きの部屋に居る必要がなくなったほど、彼は回復した。
それは私にとっては、
研究対象が生還した以上の意味など無い、と思っていた。


しかし、彼が生きていた社会への復帰は恐らく叶わない。
信じられないほどの精神力で
麻薬の誘惑から自らを断ち切ったとて、
両腕から下、特に両手の感覚と握力の衰退は
リハビリで取り戻せる限界ぎりぎりまで回復させていた。
腕立て伏せがいくら出来ても、
人差し指を上手く動かせる神経が死んでいては
トリガーを引くことは出来ない。

 
明るく日差しが入る客室の窓は開け放たれ、カーテンがそよぐ。
その風の流れから、部屋の主が不在であることを伝える。
どうやら一人で庭園に散歩に出かけたのだろう。


 




 


やっと日の光の下で、歩くことが出来た。
長い時間、もがいていたような気がする。
時間がかかっても、トレーニングウェアを
身体のきしみや痛みなしに着ることが出来ただけで
こんなに嬉しいものだとは思わなかった。


毒気を殺がれたような、清々とした気持ちを身に纏ったのは
もしかしたら今日が生まれて初めてかもしれないと
大きく深呼吸をする。


空を見上げれば緑の色は一色ではなく、様々な明るさで
グラデーションになっていることに気が付く。
木漏れ陽に白浮きした光に満ちる、穏やかな世界。
微風が枝葉を楽器にして奏でるささやかな音は、
今までは気が付かなかった、新しい喜び。
 

 
これを導いてくれた人に、俺は誓いたいことがある。
 


カサリ、と音がして
この数ヶ月最も自分を見つめてくれていた、よく知った気配が忍び寄る。   
目を閉じて彼女を感じれば、
なんと暖かく、凛々しい気配だろうと思う。
聡明な竹のような清々しさ。

 
木の後ろに隠れ、自分の生業から身につけた技能を一つ試す。
彼女に気づかれるようではおしまいだと、妙に切迫するような気持ち。


 
「ミック、さん・・・?あれ・・・どこ、行ったのかしら」
 
「Boom! ココですよっ」
 
「きゃあ!!!び、びっくりしたぁ」


 
にっこりと微笑むカズエさん。驚いた姿に何故だか安堵した。
そして、笑顔を忘れたくないと、しっかりと彼女を見つめる。


 
「さーて。今日の午後はトレーニングですよ、ってわかってた?
 着替えてるのね、ミックさん」 

「・・・すこし、話をしませんか。今までロクに話しが出来なかったし。
 ってそれは俺がオカシクなってたからなんですけど」

「え?ええ。・・・そうね。毎日キチキチやっているだけが
 リハビリじゃないですよね。
 こんなに良い天気で穏やかな日和だし、おしゃべりしましょ」

 
 
いつ庭師が訪れるのかわからないが、
完璧に手入れされた芝や庭園は、日本家屋の粋を彩る要だと思う。
継続する手入れの苦労を感じさせない慎ましさが
欧米の「見て!すごいでしょう!」と圧倒させる
フラワーガーデンとは一線を引く価値観なのかもしれない。


その日本人の持つ心を惜しみなく俺に与えてくれた女性。

  
池を見渡す木陰に二人で腰を下ろす。
教授以外誰も居ない、とわかっている敷地内だからこそ
まだ能力の回復に不安がある自分も、余裕が出来る。 


彼女が無意識に計って座った
二人のわずかな間隔がもどかしくて、
強引に彼女と寄り添うように自分が座リ直す。
拒絶しないのは、OKの証拠。


 
「カズエさん、ありがとう」

「そんな・・・私はただ手伝いをしただけ。本当にすごいのは、あなたよ」

「違う。俺は、君が居なかったら、今こうしてここで風景を愛でることにも
 気が付かなかったと思う。俺は、一度、死んだんだと思うよ」
 
「・・・そう」

「感謝だけじゃない。こんな気持ちははじめてなんだ。愛してる、と思う」

「ミックさん。お願いだから誤解するのはやめて。
 あなたはわかっているはず。
 誰だって死に掛けの最中に優しくしてもらったら心が揺れるわ。
 私は貴方のことを何も知らないし、あなたも私のことを知っているわけじゃない。
 共通点も何も無い私たちが、この先上手くやっていけるかどうかということと
 愛なんてよくわからない感情の持続は両立しないのよ」

「君は頭の良い人だね。じゃあきっと、”私のことをお母さんみたいに思わないで”と
 考えても居るんだろう?」

「その通りよ、あなたも頭の良い人ね」

「俺は、君を母親だなどとは思わない。俺にとっての最後の女になってくれ」



そういって抱き込んでキスすれば、いつもの口説きパターンの変化形。 
これでカズエさんは俺のものと思った矢先、激しい勢いで張り手を喰らった。
脳天がしびれるくらいの、重い気持ちのこもった、痛いビンタ。
目前に飛んだ星をやり過ごして目を開けると、
ぼろぼろと涙をこぼすカズエさんの顔があった。



「よ、よく言うわ!
 あなたも冴羽さんと同じくらい、どうしようもない男なのね!
 何で、自分の大事な女性がほかに居るのに、簡単にそんな風に口説けるの!」

「な、何のことだ」

「分かっているのよ!あなたが本当は香さんのことを愛してるって!
 あなたが意識を取り戻した時、初めて言った言葉は”香”だったのよ!
 なのにどうして私にそんなことを言えるの!」

「・・・!・・・カズエ、聞いてくれ」

「・・・」

「頼む、黙ってていいから、俺の話を最後まで聞いてくれ」

「ええ」

 
 
やはり、冗談でどうこうできる相手ではなかった、と思い知る。
そして、言葉と行動を尽くして、彼女が欲しいと、改めて感じる。


 


      
  俺は在米時代、ターゲットに恋人や妻が居る場合、
  必ずその女を口説いてモノにしてから仕事にかかっていた。
  それは確かに彼女らの喪失を埋める手段でもあったが、
  勿論俺の男としてのプライドというか・・・まあ勲章だよね。
  俺もリョウも女好きだし。

  そして、カイバラからの断りの余地の無い依頼を受けて日本へやってきた。
  俺はこっちに戻ってくる時点で、リョウに勝てるとは思っていなかったんだ。
  だけど、せめて相打ちくらいで逝けたら本望と思っていた。

  そうしたらさ、絶対特定の女を作らないと思っていたリョウに
  カオリが居たのを知って、笑っちゃうほど驚いたんだよ。
  多分カズエも分かっているだろうけれど、あの女好きのリョウが
  カオリには手をつけることも出来ないなんてさ。
  バージン・キラーの餌食になるぜ。
  で、セオリー通りに口説いてみたら、これまた玉砕。
 
  俺、いい男でしょう?
  (とカズエに笑ってみせたら、涙目ながら彼女もにっこりした)
  ナーンコウ・フラーク?
  (四文字熟語なんてよく知っているわね、とさらに笑ってくれた) 
  難攻不落な女だろうと手中にして来た実績を、かーんたんに翻してくれたのさ。
  
  リョウのためになら、簡単に死ぬだろうなと。
  処女のまんまでさ。
  それも、あいつになんら責を問わないで笑いながら逝くだろうなと思った。
  
  そんな女、俺の周りには居なかったんだよ。
  みんな、命乞いした。
  周囲皆殺しにしてもいいから、自分だけは助けてくれと
  夫子どもを俺の前に差し出して泣いた女も居たよ。
  可哀相だったから眉間に一発で送ってやった。
 
  俺は人殺しなんだよ。多分、誰だって今でも殺せる。
  そういう意味じゃ、愛なんて俺も全く信用していない。
  命と天秤にかけられる他人への愛を見せ付けられたら、そりゃ俺の負けだよな。
  
  リョウだって簡単に人を殺せるさ。
  だがあいつは、俺より先に「殺されたくない相手」を見つけちまったってだけさ。
  
  
  君の話も教授から聞いた。
  生物兵器を盗み出すためにウェディングドレスを着れる女ってことは、
  結婚にも愛にも、何も見出していないんだろう?
  (カズエは、こくり、と頷いた)

  簡単に「愛」って真面目な顔をして言ったのは
  確かに俺のミステイクだったと思う。
  もっと素直な気持ちを言葉で言ってもいいかい?


  
  カズエ、これからの俺には君が必要だ。



  俺の人生は、あの飛行機事故で完全に終わったも同然だったんだ。
  そしてカイバラに生き返らされたが、
  本当の意味で俺が戻ってこれたのは、カズエ、君が俺の傍に居てくれたから。

  確かに無意識の中で、俺はカオリを求めていたかもしれない。
  でもそれは、・・・そう、初恋の相手を忘れられないようなものだといえば
  分かってくれるかい?

  カオリの心が既にリョウのもので、負け惜しみからそう言っているんじゃない。
  それから、カズエ、君のリョウへの気持ちも分かってる。
  
  君は頭がいいから、自分の心が満たされぬ想いで血を流しても
  それを決して表には出さないだろう。
  すぐにリョウを忘れて、その心を俺に向けてくれなんて言わない。
  
  あいつみたいに、黙ってついて来いなんて都合のいい態度は取らない。
  人はやっぱり、言葉を通じて分かり合ったり安心したりすることがあるだろう?
  そういう労力を俺は絶対に君に対して惜しまない。


  
  ただ、俺の新しい人生を与えてくれた君の傍に、居させて欲しい。
  そして、君だけを守らせて欲しい。
  君が殺されるのは絶対に見たくない。
  俺がどこに行き、何をしても、還る場所で居て欲しい。
  君が何をして、どこへ行っても、俺のところを帰る場所だと思って欲しい。
  

   
  愛が簡単に消え去る状況を意図的に作り出したり、見続けてきた殺し屋に、
  愛が理解できない女、どうだい?
  俺ら似ているはずだぜ?
  共通点はこれから見出そうよ。


 


黙って聞いていたカズエの悲しい顔が、少しほころんで。
そうして俺たちは、恋人がすると形容されるようなキスをした。


 




 




 


池に乱反射する光の瞬きを眺めながら、彼の話しを黙って聞いた。

彼の告白は、にわかには信じがたかった。
けれど、彼が言葉で表したことの全てを否定するのもおかしいと思った。
だから、身体に聞く事にした。

 
ミックの身体が、ある意図を持って私に近づいてきたのを、
嫌だとは思わなかった。
くちづけしあう瞬間、
たくさんの女性と同じ事をしてきただろう彼の唇が
かすかに震えているのが分かった。
その刹那、私たちの間を一陣の風が通り抜け
何故だか私はそれがとても嫌だと思った。

 
ゆっくりと唇を重ね合わせ、彼の唇の薄さが気に入った。
ついばむようにかたちを感じ
ぬくもりを吸いあうことでわかちあう
口を薄く開けば彼の舌が私の歯をノッキングする。とんとん。とんとん。
ようこそと舌先を差し出せば、ありがとうと優しく滑り込んでくる。
絡み合わせる舌の動きは軽やかなのに、絶対に離れない。
自分が抱きついている彼の身体と一緒になりたい。
   
 
突然耳元に響く、驚愕に満ちた嘆息が私を正気に引き戻す。
さっきまで見せていた彼の笑顔は、真白く引き攣れ、
その眼差しは空ろにどこも見ていない。


「俺の!俺の、指は、君を感じない・・・!
 Oh my god, Is this the punishment for me?
 (なんてことだ、これが俺への罪ですか?)」

 
呟く言葉に感じるのは、圧倒的な絶望。 
私が抱きしめている彼の温もりは、すぐそこにある。
そして、それは、指先からだけなんかじゃない。  


「ぜったいに、ちがう。それから、あなたが私を感じる術は他にもあるわ」


そう言いながら着ていた上着を脱ぎ捨てた瞬間、外気の冷たさに肌が粟立つ。
一瞬で屹立した乳首も乳房も、全てが彼の前にさらけ出される。
      

「寒いの。あなたが吸って。わたしをあたためて」


無表情のまま、私の胸元に顔を寄せてミックは乳首へむしゃぶりつく。
くるくると乳首の回りに伸ばされる舌先、甘噛みを加えられれば
自然と口から零れ落ちる湿り気を帯びた吐息。
ねえ、聞こえる?
あなたがしていることで、私は感じているの。
唇と舌が私の性感を探り当てるように、縦横に胸を這い回る。
無我夢中のミックの頭を強く抱きしめ、髪を撫で、地肌に指を突き立てる。

 
「き、れい、だ。カズエ。
 君のバストも、ニップルも…桃色で…柔らかくて…熱い」
 

頬ずりをしながら彼が漏らす声。
そして胸の谷間に感じる濡れた感覚。
声を高ぶらせ、涙を流しながらミックは続けて言う。

 
「ありがとう…君が居なかったら…今ここに居なかったら…俺は…」

「ふふ、女を泣かせるゴールドフィンガーをも失ったと思った?」

「ああ」

「でもミック、私は今のあなただから、抱かれたいと思ってる」

「俺の指が君の身体を愛せなくても?」

「愛は禁句よ、でもあなたの、ここ、は、準備しているみたいね」

 
陽の差し込む光の満ちた世界で私たちはゆっくりと繋がる。
全てを見せ合って、隠すことをせず、ただ静かに。


「・・・っつ!」

「痛いのか?カズエ・・・」

「え、ええ。かなり長いこと、ご無沙汰だったから」

「カズエ・・・女に対する独占欲は俺とは無縁だと思っていたが・・・
 この先、君のここを感じる男は、俺だけで居たい」

「優しくして」

「天国へご案内するよ。俺の名前を忘れたかい?」

  
ゆるやかに始まる揺り篭は、私をメリーゴーランドへと誘う。
ミックが私を深く身体のうちに抱きこみ、ぴったりと身体全体を合わせる。
ああ。
服が邪魔だわ。
ああ。
私の中の潮の満ち引きのさざなみが見えてくる。
だんだん何も考えられなくなり、目を閉じる。


 
「Don't close your eyes, please look at me」
 (目を閉じないでくれ、俺を見て)

「Mick … Don't let me feel lonely, from today…」
 (ミック、今日から私がひとりだと思わせないで…)

「I do swear.」    
 (誓うよ)
 

 
見詰め合ったまま、深く繋がる。
彼の熱く固い棘が私の中に刺さり、そして私は抜かれることを望まない。
引き止めるようにきつく締め上げれば、その刺激に彼の眉間が深く歪む。
 

 
「気持ちいい…?」

「あ、ああ…」

「わたしも、よ…」



嘘をついた。
二人の間に汗がにじみ、それが心地よいから、痛くても我慢した。


身体全体を合わせながら激しく上下に身体を揺さぶられ、
彼が私の「女」を再び目覚めさせる。
慣れるまでは快楽より苦痛の多いこの行為が、
どれだけ彼と繋がることで深い快感に繋がるのか、今はまだ分からない。
 

それでも、この人を我侭に求めることが許されるのなら
私は彼だけをこの身の内に受け入れよう。

 
久しぶりの交わり。
半ば痛みで支配された、薄れゆく意識のなかで
「痛かった、んだろう・・・カズエ、俺にはもう嘘をつくな」
ずっと聞きたかった言葉を、はじめて耳にした。


 


それから1ヶ月も経たずに彼は完全復帰を果たし、
私と教授の前から「仕事が軌道に乗ったら必ず帰る」と言い残し、姿を消した。
想像するまでもなく、彼が向かった先が分かった私は、
初めて冴羽さんを男性として意識せずに
自分から彼のガードを依頼すべく、働きかけることが出来たのだった。   


 





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