no.6 過去

honey roasted peanuts




窓からの陽光に、今日の一日が絶好のアウトドア日和だと
香にびしびしと伝えてくる、朝のひととき。 

久しぶりに懐があたたかいと、
うずうずと心が沸き立つのは、誰でも同じよね?

よっし、普段のスーパーじゃなく、
ちょっと遠出してお買い物に行きたいな!初めてのところ!


「遼ー!ちょっと付き合ってよ!」

「んぁ?」


朝食を寝ぼけ眼で食べ終え、コーヒーと紫煙をおともに
リビングに流れるテレビニュースと
新聞を同時に取り込んでいる遼に声をかける。



「え〜。りょうちゃんいきたくなーい。こんないいお天気の日はぁ
 もっこりちゃんが絶対絶対オレを待っているはずだしぃ〜」



遼が私の言うことを、
一度で素直に聞いてくれることなど、ありはしない。
背に翼が生えているかのように、
いつも私の手からすり抜けることばかり。
言葉で置いていかれる私は、自分が出かけることを考えていたのに
ふと、口ごもる。


いいや!
もう遼なんか一緒に誘わない!重たい荷物もこの機会に
彼に手伝ってもらって買ってしまおうと思ったけれど、
自分でなんとかしよう!


こちらから問いかけた答えを返すことなく
黙って台所で片付けを済ませ、
香は出かける準備をするため、自室へと戻った。






刷り込まれた条件反射で、誘いを無碍に断ってしまったとしても
遼の本心がそこにあるわけではない。
社会の動きを伝えてくるニュースは既に聞こえず、
目前の印刷された文字は意味を持たない。


ましてや、考えていることを隠そうとしない香の表情の変化で
彼女が望んでいた行動は、簡単に予測がついてしまう。



・・・ざまあねぇな、もっと、言い方ってもんがあるだろうによ。



ふっと吐息を吐き出して、遼は煙草を灰皿にひねり潰し、
既に冷めてしまった、香が入れたコーヒーを一口含むと
車のキーを持って階下へと降りていった。






リップスティック。
私がつけるのはそれだけ。
華美な装いは、私には無縁。けれど、私はそれを残念とも思わない。
丁寧に輪郭を描き、ゆっくりと塗りこんでゆけば
気持ちが少し凪いでゆく。


着替えを済ませ、アパートを出ると、
見覚えのある車が道路に横付けされている。
運転席には、さらに忘れることなど出来ようも無い横顔。
既にこちらに気がついているだろうに、
エンジンをアイドリングさせたまま対向車線を見つめている。


その雰囲気は、香の本能に、黄色信号を点した。
即座に助手席のドアに走り寄り、彼の耳に届くかどうかも定かでない、
小さなうめき声を出してしまう。
  


「遼・・・?どこか、遠くへ行ってしまうの?」

「・・・買い物、行くんだろ?乗れよ」

「!・・・うん・・・」



不安は一気に払拭される。
自分の望みを悟られたことへの驚愕よりも、安堵が心に満ちてくる。 
その喜びから、声がつい弾んでしまう。



「ねえ、遼、都下にね、
 すっごく安くて、卸価格で買うことの出来る、
 アメリカが本店の生活用品の会員制問屋さんがあるんだって!
 美樹さんがそこに入るカード貸してくれたのよ。
 本当は業務用で、個人は別に登録しなきゃいけないらしいんだけど、
 だめもとでいってらっしゃいって。そこ行ってみたいんだ」

「・・・costcoか?」
 
「ん?なにそれ?」

「あ、いや、なんでもない。じゃ、道案内しろよ」



体育館よりも大きい倉庫のような店内に、溢れるたくさんの品物。
入り口から垣間見たその光景に、
香は自分も冴羽商事で登録をすると言い張った。
その方が安く登録できるし、後ろめたいのはいやだから、と。


反対する理由は無い。
そして、また再びふたりでここに来る意味が出来る。

遼は笑って、香の言うがままに従った。

 
大量に詰め込まれた英語のパッケージのトイレットペーパー
持ち上げるのにも一苦労しそうな缶詰の箱
調味料は全てが大型で、食べ物に至っては香を狂喜させた。



「うわあ!うわあ!これだけたくさんパンが入っていれば
 遼、あんただって一週間くらい持つわね!」 


    
電卓をかばんから出して、一個当たりの単価を計算しては
にこにこと笑う香。
 

アウトドア用品が並ぶコーナーで、
ロール状になった各種の太さの針金や、
工具、ガムテープに軍手などを発見するや否や、
香は即座にそれを手に取り、次々とカートに入れていく。



「香、これは価格計算しないのか?」

「え・・・?価格見れば分かるもの。
 ここのものは安いし、ほとんどが国内のものではないじゃない?
 商売道具にケチることはしたくないの。
 こんな風にたくさんキープできるのなら、
 そのチャンスは絶対に逃したくないわ」



装備は多岐に渡っていた方がいい。
正規のルートで手に入れられるのなら、その方がいい。

彼女の背中がそう語っているのを聞いて
遼は言い知れぬ気持ちに捉われる。

それで、いいのか?
買い物ひとつ取っても、オレのサポートをすることで
普通の女が考えなくてもいい事を考えさせる。
香に、それをさせるのか?



「・・・また、買いに来ればいいことじゃねーか」

「ふふ、そうね」



悟られぬことのない内心の逡巡、出される言葉に満ちる希望。



いったい何枚の万札が今日飛んでいくのやら、と
普段なら香が思うことを遼が思いつつ、
山盛りのカートをうきうきと押していく彼女の後を
黙ってついていく遼。


  
菓子コーナーで香の足が止まる。


華やかな色、乱れ飛ぶ英字、天井にまで届きそうな大きさの箱たち。
かすかにパッケージから感じる甘いにおい。  
きょろきょろと目を輝かせてそれらを見つめる香は、
自分自身が砂糖菓子のような可愛らしい気配に満ちている。



「・・・これ、何かな?」


 
香が手渡した缶には”Honey Roasted Peanuts”の文字。



「ん?甘いピーナッツだよ。塩っけも少しあってさ・・・」

「こ、これ、食べてもいい?買ってもいい?」



おまえの好きにすればいい、と口に出そうとして、
遼は一瞬自分の身体を硬直させ、少し急いて次の言葉を出す。

 

「おまえ、今までにピーナッツ食ったことあるか?」

「なによ、それ!
 あたしだって、柿の種に入ってるやつ、食べたことあるわよ!」



つい、考えすぎた、と反省する。笑って香の言葉に返す。



「じゃあ、そいつも食え、たんとくえ。
 そして豊満なウエストになるんだな!うまいぞ、それ。」



ひどーい、と言いながらも嬉しそうに缶を持ち、
味に思いを馳せる香が堪らなく儚げに見えてしまう。

 
ふいに訪れた衝動は、己の理性を止めることが出来なかった。


倉庫の通路、視界が渡る範囲に誰も居ないことをチェックして
彼女がそこにいる存在であるのを確認するように、
後ろから抱きしめてしまう。




illustrated by Weekend Solidier






「り!遼・・・どうしたの・・・?」

「・・・いや、なんでもない・・・」



香は声音ですぐに判断する。
遼はピーナッツにまつわる何か、悲しいことがあったのだと。
遼が本当は何を恐れているのかは分からぬが
口に出さぬ過去の思い出に身を浸しているのだと。



 「・・・教えて・・・お願い・・・」



それは一瞬でも、ふたりにとっては長き抱擁にも似て
双方が身動きも出来ず、温もりを分かち合っていた。
ようやっと、搾り出すように、遼が言葉を放つ。
 

「昔、ピーナッツアレルギーで死んだヤツがいてな・・・
 すまん、お前がそうかどうか分からなかったんでな」

「遼・・・大丈夫だよ・・・」



ふたつの磁力が離れることを拒み
余韻を残すように、ゆっくりと香と遼は再び己の身体を引き離した。



「大丈夫、だよ。さあ、支払いに行こう!
 早く帰って、これを整理して、今日はビールも開けちゃおうよ!
 あんた今晩出かけちゃうの?ご飯食べてからにしなさいよね」



耳まで赤面しながらも、
何かを噛み締めるように、それでも顔に浮かぶ香の笑顔に
遼は、ああ、としっかり返事をした。


早く帰って、ふたりの家で、
蜂蜜をまとった木の実を食べよう。
黄金に発泡する、芳醇の喉越しを二人で感じよう。
それからでも、闇に身を浸すには、遅くない。




 
  


 
 
  



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060904
土産に貰って、美味いなあと思いました



061003
Weekend Soldierのナツコ様から
イラストレーション掲載ご快諾いただきました。
本当に嬉しいです。ありがとうございました。

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