帰宅した僕の背中に向かって、
彼女が言葉を投げつけてくる。


私だって仕事してるんだから・・・

大掃除くらい・・・

何もしないでご飯も作ってくれないで・・・

ゴミ捨てとかお風呂掃除だけが自分の分担・・・


一瞥した彼女の口元が、パペットのようにパカパカ動いて
人間ではない魚介類のように見えた。


僕が大事にしている彼女。
結婚するには経済的にまだ不安だけど、
どうしても一緒に居たいんだと、説得して始めた同棲。


形になんてこだわらないわ、二人が大事なの、と
にっこり嬉しそうに微笑んだ彼女。
今でも覚えている、初めての夜。
彼女の体温がそこにあるのに、
抱き合わないことへの違和感で眠れなかったあの夜。


僕は、自分の悩みや苦しみを、彼女には見せたくない。
そのことで、彼女の笑顔が翳るくらいならば、
自分の中でしこりを消化する男で居たいと、思っている。
それが僕の、男としての、彼女に対する、小さなプライド。

 
どうしてなにもいってくれないの・・・

何でそうやってすぐにふてくされるの・・・

言ってくれなきゃわからないじゃない・・・

帰ってすぐ出かけちゃうんだったら、
一緒に暮らしてる意味ない・・・


彼女は、逃げ道に楔を打つ、天才だ。

 
さまざまな願望・愚痴・意見・価値観を垂れ流し 
それをすべて受容しろと身体ごとぶつかってくる。
「私のことを好き」なのだから、
相手の拒否も、異論も受け付けない。

 
受け入れる身体の構造なのに、心は逆なんだな。

 
男はきっと、心をすべて受け入れる代わりの褒美として
女の身体に、自分の一部を差し入れることが出来るんだな。

 
大事な彼女なのに、
僕は彼女の奏でる声が、言葉が、騒音に聞こえだす。
険のある目つきで僕を責め立てる彼女にも、
僕の知らない苦しみやつらさがあるのだろう。
それが分かってもなお、彼女の鼻っ柱に拳を入れたくなる。 


空腹のまま、彼女の言う「大掃除の手伝い」を始める。
肉体的な疲労は既に限界を超え、睡魔が全身を襲う。
しかし、手を止めれば、
彼女の監視の目と矢のような叱責の言葉が
僕に突き刺さるのが分かるから
言われたことを黙々とこなす。


僕は多分、やさしくて、誠実で、浮気をしない、
「少し物足りないし、手伝いが足りないけど」
いい彼氏、なのだろう。
そして、そうなるべく努力をしてきた。


 
深夜に夜食を作る音が聞こえてくる。
暖かな湯気が部屋に満ち、
しょうゆの出汁の良い香りが鼻をくすぐる。
キリキリと引き絞られた神経が、少し緩むのを感じる。

 
掃除を終え、着替えをし、食卓に着く。
目の前に置かれる、ほかほかの肉入りねぎうどん。
彼女の料理は美味い。思わず笑みが漏れる。

 
七味を台所へ取りに行き、戻って好きなだけ振り掛ける。


「もう!!!何でそんなに辛いのかけるの?
 私が辛いの嫌いなの知ってて、嫌がらせなの?」

 
笑みが凍る。
うどんの丼は、手がやけどしそうなほど熱いのに
心が急激に冷え込むのを感じる。


醜い欲求不満が顔に張り付き、
彼女は彼女自身の安定を、あがきながら求めている。
僕のことを蔑むことで。
最後に抱き合ったのは、いつのことだろう?
忘れるほど、僕らは、同居という安寧に
お互い寄りかかっていたのか?

 
本当の殺意や憎しみからでも、性欲は起こる。
彼女に平手を張る代わりに、激しく組み伏したい。
やめてと懇願する声を出させたい、
本気でそう思った。
僕は、多分、限界なんだろう。
 
 
ひどく、寒い。







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